ガジェットオタクの魔本

とにかく魔法使いでありたい

【イラスト論】アイデンティティとして絵描きになるということ。

僕は絵を描くのが嫌いだ。

 

時間はかかるし神絵師にはなれないし、こんなに時間をかけたのにまだ仕事にもならない。描き悩んだ瞬間に精神は消耗するし自分より若い絵描きに先を越されるし、そのたびに自分の技術不足を実感する。

 

絵を描くほどに上手くはなるが、周りはもっとすごいスピードで速くなる。10年後にはもう誰でもいい絵が描ける時代になっているのかもしれない。

 

それでも、僕は絵描きの道を進むことにした。絵が上手くならねばならんと自分に課した。

 

なぜそんなにも描くことにこだわるのか、これを語ってみようと思う。

 

絵が上手くなりたかった 

誰しもこう思ったことがあるだろう。

 

学校で絵を描く授業をやった時、ノートに落書きをしたとき、好きなアニメや漫画に出会ったとき、絵が上手い友達を知ったとき。

 

「ああ。自分も絵が上手かったらなぁ」

 

一瞬たりとも絵を描きたいと思ったことがない人なんて、このアニメマンガ文化の発展した現代日本ではほとんどいない。

 

人はそもそも絵を描きたくなる生き物だ。創作という能力は人に本来備わっている機能で、人が面白そうなことをやっているのを見てしまったならもうその感情からは逃れられない。

 

ただ普通に、人並みに。僕は絵を描けるようになりたいと思っていた。

 

出遅れた。

きっかけはありふれたもので、誰もが語る同じような理由で僕は絵描きにハマった。

 

ソシャゲ「アイドルマスターシンデレラガールズ」でとあるキャラクターを好きになって、その子の模写をしていたら

 

友達に「おー上手いじゃん」なんて言われた。

 

それは高専1年生の時(15歳)。

 

 

絵を描くのは別によかったけれど、僕は完全に出遅れていた。

 

 

絵が本当にうまい人は、小学生の頃から書き始めている人たちだ。

そっちの人種は、中学生の頃には学年中に「絵が上手い人」として認識されていて、素人目からしてもアマチュアレベルに到達しているように見える。

 

彼らのほうが圧倒的に有利だ。

 

 

才能と言うよりも、それは運の問題で。彼らは「絵が上手くなりたい」という感情に子供の頃に出会い、うっかり人よりも早く始めることができた人たち。

 

その上子供は若ければ若いほど吸収力が高い。10歳から始めた人と15歳から始めた人の画力レベルには、高校を卒業するころにもう天と地ほどの差が開く。

 

 

「絵で生きていくにはもう遅い」と思った。

 

アドバンテージを探した。

合理的な判断としてはそこで絵を描くことなんてやめてしまって、すでに勉強を始めているプログラミングの道を進むべきだった。かもしれない。

 

けれどイラストの道を進むのも遅くない、そう思えるだけの理由や素質がなにかないかと、言い訳を探した。

 

そして、自分には「PC操作が得意でガジェットが好き」というアドバンテージがあった。

 

ひと昔前のイラストの世界ではそんな技術は全く関係のないものだったが、丁度2015年の僕が絵を描き始めたころ、

 

ネットにはイラスト関連の情報が充実し始め、勉強用のサイトや動画が大量に出はじめていた。

 

それに加えてPCを使った「デジタルイラスト」の世界が定着し始めており、「イラストをやるならPC技術も必要」という時代になったタイミングだ。

 

「これだ」

 

イラストの最高峰に到達するには「デジタル技術とイラスト技術」の両方が必要であり、そのためには「イラストが上手い人がデジタル技術を身に着ける」アプローチと「デジタルに強い人がイラスト技術を身に着ける」アプローチの二種類がある。

 

前者は世にあふれた大量のアナログ絵描きの中で、その中でも素養のある人がデジタルを覚えていく道だ。

 

後者はもう少し人口の少ないデジタル技術者が、さらに一見全くかみ合わなそうな絵描きの道に進んだ場合にたどり着ける方向性だ。

 

自分には「幼少から絵を描き始めた人」と同様に「幼少からPCを使いこなした人」というアドバンテージがある、だからまだ遅くない。むしろ人より早く上達する可能性だってある、と考えた。

 

それに、「幼少から絵を描き始めた人」には致命的な欠点がある。

子供の頃に絵を描き始めた人は、ほぼ必ず、極端な個性や独特の世界観を持った作品を作るようになる。

 

そうではなく、商業的に誰にでも受ける一般的な「美しさ」を持った作品は、ある程度物事の区別や客観性がわかるようになった思春期以降に描き始めた人間にしかできないことだ。

 

それが僕にとっての「今絵を描き始めなければいけない理由」だった。

 

パソコン人間だから分かる「絵を描く合理性」

時代はSNS。コミュニケーションの方法として通話やメールの流れがあり、それからSNS。

 

音だけ、文章だけ、1対1のコミュニケーションから、1対多数のコミュニケーションになり、そこに画像や動画としての情報も載せられるようになった。

 

この時代に「画像を作る能力」は圧倒的な力だ。

画像

 

人は人の顔や声を覚えるのと同じように、人の「画風」を覚える。

イラストを見たときに「これはあの人の作品だ」と分かるようになる。

 

絵がうまくても下手でも、その人の能力がどれくらい優秀か、プロフィール欄を見ただけで一発で分かるし、その一瞬でフォロワーになるかならないかの判断すらしてもらえる。

 

画力とは、言わばインターネットの顔面偏差値だ。

 

人間社会の法則では、顔が良ければ信用度が上がり、良い仕事に就けて給与も上がり、社会的立場や人間関係にも恵まれる。そんな各々の確率が上がることを総じて「顔が良ければ運気が上がる」と表現しよう。

 

ならば画力が高いということはSNS上でフォロワーが増えやすく、仕事が増えやすく、コミュニティも築け、何か企画をやれば人が集まり、YoutubeチャンネルやブログをやればPV数が上がりやすい、というこれも同様、

 

画力を上げるということは、ネット上での運気を上げる活動となる。

 

未来の運を上げる

人は何もしなくてもいい、ただ平和に生きてればそれでいい。

それでも、常に心のどこかで「何か面白いことが起きないかな」「チャンスが来ないかな」と願ってる。

 

けれどそういうものは平和で常識的な生活の中にはなかなか飛び込んで来ない。

 

ただ待つだけの人のところにやってくるのはたいてい「〇〇を買いませんか?」という話ばかりで、チャンスはもっと優秀な人のところに持っていくモノだ。

 

本当にチャンスや幸運が欲しいなら、

「目立つ所」で

「良い見た目」をして

「幸運を振り撒きながら」待っていることがコツだ。

 

そのために僕はブログやYouTubeやTwitterを立てて、話や絵を載せている。

さてこの記事を読んでくれたあなたは今、どこで何を待っている?